5月2日、大芦散策(1/2)
2010-05-08


大芦、墓地。腰巻という地名の墓地。戊辰戦死者、官軍の墓。
明治の初めは、会津藩(賊軍)よりも官軍(国)を奉るお達しがあったらしい。


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改修中の『大芦家』、天井部分は見えなくなるが、元の建物の木組みはほぼそのまま使用している。

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孝雄さんの先祖、戊辰戦争に巻き込まれて亡くなられた佐藤音之助の墓。
村内では「佐藤」の苗字は野尻に見かける。大芦では数少ない苗字である。
大芦は「五十嵐」の群生地である。斜面には福寿草が群生していた。
大芦集落の墓地は、平地では見かけない。ほとんどが山すその斜面である。

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大芦出身の徳行者、五十嵐徳行氏が平成21年(昨年)に寄進された供養碑。同氏のご先祖、大舎人(おおとねり)の系譜、「大芦ノ佐蔵」事「五十嵐佐蔵氏」大舎人九代の墓のそばに建てられている。
わたしは、「ダイシャジン」と読んでしまい何のことかは判らなかったが、博昭氏は代々の大きな墓が並んでいるのを見つけて興味津々。
3人の五十嵐が来て大芦をつくったという話はちょうど一年前に聞いた話でもあった。
《参考》[恵比壽塵報]73号:春の「会津学」めぐり
[URL]

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このお墓では、「従大舎人七代之長男」と読める。

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大舎人の代々の墓が並んでいる。

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博昭さんが検索して見つけた村内の館跡の一覧資料。福島県のサイトらしい。
[調査有無]の欄は、全部[調査無]である。


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大芦集落の遺跡地図。

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小中津川集落の遺跡地図。博昭氏は、気多神社の由来文書とゴーン沢館跡の関係を推理する。


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