110811_蒲生氏郷霊廟ちかく
2011-08-17



わたしは高校生時代の3年間を会津若松市で暮らした。
この場所は、何度も通りかかったはずの場所である。
だがしかし、その頃には立ち寄ってみようとも思わなかった。
なので、その頃にもお墓があったかどうかは知らないで過ごした。
会津から離れて暮らして初めて、会津を意識したのである。
この表現もまだまだ飾っている。
もっともっと正直に吐露すると、蒲生氏郷(がもううじさと)のことを知ったのはホンの数年前からです。

禺画像]

禺画像]


禺画像]

禺画像]

禺画像]


禺画像]
ひょっとして、スプレー落書きと同じ扱いをされた張り紙かもしれない。
剥がそうとした痕跡がある。が、しっかり糊付けしてある様子。
手間隙かけたと思われる。つまり、印刷物やコピー(複写)とは思えない手作りの張り紙。
と感心するも、スプレー落書きも手作り単品物なので、よくわからない。
落書き(らくがき)ではなく、落書(らくしょ)ではないか、と、ふと思った。
街中にあったら辟易(へきえき)するだろうが、今回の若松市内の彷徨でわたしはここでしか見かけなかった。
意匠もさることながら、「さすけねぇ」のひと言に愉快行為ではないものを感じたのです。

[恵比壽塵報]
[街角]
[会津物産]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット