120504_伊南へ・奥会津博物館伊南館@
2012-05-12


奥会津昭和村には、「からむし織の里」という複数の施設が集まった場所がある。
その一画には『からむし工芸博物館』という博物館がある。

カラムシとは苧麻(ちょま)とも呼ばれる、宿根性多年草植物である。
この植物は、日本国中どこにでもある。

見てきたようなことを書けば、縄文の時代からこのかた、繊維を取り出して糸を作り、それを組み立てて(織って)布とする植物の代表は、カラムシと麻であった。
そのことは遺跡の発掘などで判明するらしい。
そしてこのことは、人類が文字を発明して記録に残すようになってからのことでは、中国大陸が魏志の時代だった頃の、「『魏志』倭人伝」という文献に、倭国(現在の物理的経度緯度でいうと日本と呼ばれる地域)の風物として記載されているのである。

そこには、「種禾稲紵麻」という文章がある。らしい。

わたしは「『魏志』倭人伝」にあたってみたのではなく、森浩一さんの本で読んだ。

ここからの説明は、その受け売りである。
「種禾稲紵麻」の読み方は「禾稲紵麻を種える」と下し読みする。
そして、従来の「倭人伝」研究では、「禾稲(イネ)と紵麻(チョマ)をうえている」と解釈していた。
が、ある研究者(鋳方貞亮(いがたさだあき)氏(故人))が、〔禾稲はイネ〕ではなく、「禾(あわ:粟)と稲」の事であると喝破されたのだそうです。
では、紵麻の文字はどうなのか、森浩一さんは、禾稲紵麻は「禾と稲と紵と麻」つまり〔紵麻は紵(カラムシ)と麻(アサ:大麻)〕と読むべきではないかと書かれているのである。
このことが【「日本の深層文化」森浩一・ちくま新書】という本に書かれている。興味のある方は、その本を入手されたし。

いや、そこまでは、という方はこちら↓の私設の抜書きを掲載しているページを閲覧ください(笑)。


[抜書き]「日本の深層文化」
[URL]


ま、ことほどさように、カラムシやアサは、「日本」という国名がまだ存在しない、現在の地理的位置での日本列島に日常の生業として活用していた基層植物なのである。

もう一度書いておくと、この植物は現在の日本国中でもどこにでもあるのである。

ただし、繊維として活用しようというヒトはほとんどいないので、製品として活用できる素材としてのカラムシを育てる地域は八重山諸島の一地域とそして、東北は奥会津の昭和村にしか残っていないのです。
そのカラムシは、奥会津昭和村(昭和時代以前の地名では大芦(おおあし)村と野尻(のじり)村(または野尻郷))では、六百年からの歴史があることが知られているらしいのである。
このことは昭和村がカラムシを地産産業として復興(継続:サスティナブルです)しようと動き出した1980年代から、「六百年」と明記しているのである。
変な厳密性を持ち出すと、そろそろ六百三十年と書き換えてもいいのではないかと心配するほどに継続してきた希少産業なのです。


布や糸や繊維一般を展示する施設は各地にありそう(実際にある)であるが、まさかいまどき、カラムシを謳(うた)った博物館なぞは、日本国中探しても奥会津昭和村の『からむし工芸博物館』が唯一不二と思っていた。

・・・閑話休題・・・
昭和村の隣町の南会津町には『奥会津博物館』という施設がある。


続きを読む

[奥会津]
[からむし]
[恵比壽塵報]
[会津物産]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット