【長文:奥会津雪譜】
昭和村大芦のことで書きますと、どの家の前にも道路と特に区別の付かない庭がありました。
同じ地面の高さに建てられた家では、その庭を囲い込む為の生垣などというものはなかったのです。
んだがらして、朝一番の道作りは「玄関から道路まで」ではなく、『つる(つるかんじき)』で雪を踏みしめて通路を作る作業は、大芦で
は自分の家から「下の家の前まで」道をつくっていました。
昭和三十〜四十年代のことです。
「つる」は、おぼろげな記憶では、
前面の紐の編みこみ模様が「鶴」模様から「つる」と名づけられたと勝手に思っていました。
そして、「(輪)カンジキ」の紐の作りは、亀甲(きっこう)なのです。つまり、形の「亀」に対称させての「鶴」なのです。
しかし、踏みしめたときに足の力だけでは持ち上げられなくなるので、引っ張るための紐がついています。
つまり、動作(機能)としての「釣る(つる)」なのです。
三番目は、輪カンジキの輪は竹なのですが、それを外延する輪は、材料として「蔓(つる)」なのですよ。
ほとんど同じ形の図は『北越雪譜』などにも載っています。そこには、「すかり」という名前で載っています。
つまり、「つる」という呼称は奥州国会津野尻組(旧野尻村と大芦村界隈)の地域呼称かもしれないと思いました。
だとしたら、奥会津の雪国の人たち(現昭和村界隈)は、とても遊び心のある先達がいらっしゃった、ということでしょう。
ほんとのことは、是非とも、平喜さんにお聞きしてください(^^;
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