北越雪譜初編 巻之上
越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
江 戸 京山人 百樹 刪定
○雪を掃(はら)ふ
雪を掃うは落花をはらふに対(つゐ)して風雅の一ツとし、和漢の吟詠あままた見えたれども、かゝる大雪をはらふは風雅の状(すがた)にあらず。初雪の積りたるをそのまゝにおけば、再び下(ふ)る雪を添へて一丈にあまる事もあれば、一度降(ふれ)ば一度掃ふ。雪浅ければ、のちふるをまつ。是を里言(さとことば)に雪堀(ゆきほり)といふ。土を掘るがごとくするゆゑに斯(かく)いふ也。掘ざれば家の用路(ろ)を塞(ふさ)ぎ、人家を埋(うづめ)て人の出(いづ)べき処もなく、力強(ちからつよき)家も幾万斤(いくまんきん)の雪の重量(おもさ)に推砕(おしくだかれ)んをおそるゝゆゑ、家として雪を掘ざるはなし。掘るにては木にて作りたる鋤(すき)を用ふ。里言(りげん)に〔こすき〕といふ。則(すなはち)木鋤(こすき)也。椈(ぶな)といふ木をもつて作る。木質(きのしやう)軽強(ねばく)して折(をる)る事なく且(かつ)軽し。形は鋤に似て刃広し。雪中第一の用具なれば山中の人これを作りて里に売(うる)。家毎(いへごと)に貯(たくはへ)ざるはなし。雪を掘る状態(ありさま)は図(づ)にあらはしたるが如し。堀たる雪は空地の人に妨(さまたげ)なき処へ山のごとく積(つみ)上る。これを里言(りげん)に〔堀揚(ほりあげ)〕といふ。大家は家夫(わかいもの)を尽して力たらざれば、堀夫(ほりて)を傭(やと)ひ幾十人の力を併(あはせ)てて一時に掘尽す。事を急(きふ)に為すは、掘る内にも大雪下れば立地(たちどころ)に堆(うづたか)く人力におよばざるゆゑ也。掘(ほ)る処図(づ)には人数(にんず)を略してゑがけり。右は大家をいふ。小家の貧(まづ)しきは堀夫(ほりて)をやとふべきも費(つひえ)あれば男女をいはず一家雪をほる。吾里にかぎらず雪ふかき処は皆然(しか)なり。此雪いくばくの力をつひやし、いくばくの銭を費し、終日ほりたる跡へその夜大雪降り、夜明て見れば元のごとし。かゝる時は主人(あるじ)はさら也、下人(しもべ)も頭(かしら)を低(たれ)て嘆息(ためいき)をつくのみ也。大抵雪あるごとに掘(ほる)ゆゑに、里言(りげん)に一番掘二番堀といふ。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.16〜17)
・ ・ ・
○雪を掃(はら)ふ
|| 雪を掃うは落花をはらふに対(つゐ)して風雅の一ツとし、和漢の吟詠あままた見えたれども、かゝる大雪をはらふは風雅の状(すがた)にあらず。
■雪を払う所作は、落花を払うと対になるような優雅な趣きとして詩歌にも詠われるますが、これだけの大雪を何とかする場合には、とても風雅風流を語ってはいられないのです。
||初雪の積りたるをそのまゝにおけば、再び下(ふ)る雪を添へて一丈にあまる事もあれば、
■初雪から降った雪をそのままにしておくと、どんどんと新たな雪が積もって、はては3メートルにもなってしまうのです。
何度でもいいますが、これは降雪量ではなくて積雪高ですから。
||一度降(ふれ)ば一度掃ふ。雪浅ければ、のちふるをまつ。是を里言(さとことば)に【雪堀(ゆきほり)】といふ。土を掘るがごとくするゆゑに斯(かく)いふ也。
セコメントをする