玉山翁が雪の図(北越雪譜)
2018-02-07


■(補記)越後の雪中では馬は歩けない。
それで地元の農民でさえも雪中に牛や馬を使う事は無い、ましてや軍馬などは使えない。
それなのに馬上の戦いまで載せたのは作者(文)の間違いなのです、それを敷衍して描いているので自ずと絵も間違い。
雪の積らない地方の人なので、実際の新雪というのを知らないのは致し方ない。

||しかしながら画(ゑ)には虚(そらごと)もまじへざればそのさまあしきもあるべけれど、あまりにたがひたれば玉山の玉に瑕(きず)あらんも惜(をし)ければ、かねて書通(しよつう)の交(まじは)りにまかせて牧之が拙(つたな)き筆にて雪の真景種々(かず/\)写し、

■絵空事がないと絵にはなりませんが、あまりに事実と相異してしまっては、せっかくの巧妙玉山の玉に傷がつく。
文通もしていたので、ついでに拙筆ながらも雪の実際の景色を色々と描いて送った。

||猶常に見ざる真景もがなと春の半(なかば)わざ/\三国嶺(みくにたふげ)にちかき法師嶺(ほふしたふげ)のふもとに在る温泉に旅(やど)りそのあたりの雪を見つるに、高き峯(みね)よりおろしたるなだれなどは、五七間(けん)ほどなる四角或は三角なる雪の長さは二三十間(けん)もあらんとおもふが谷によこたはりたる上に、なほ幾つとなく大小かさなりたるなど雪国にうまれたる目にさへその奇観ことばには尽しがたし。

■普段は見ることもない風景も描いてみようと、春半ばには三国峠の近くの法師峠の温泉宿に滞在してその辺りの雪も見た。
高い山から崩れ落ちた雪崩などは、十メートル以上もある四角か三角の雪が五十メートルほども谷に落ちているのです。
無数の大小の雪の塊が重畳しているさまなどは、雪国生れの目で見てさえも魂消るほどの奇観になっている。

||これらの真景をも其座(そのざ)にうつしとりたるを添(そへ)て贈りしに、玉山翁が返書に北越の雪我が机上にふりかゝるがごとく目をおどろかし候、これらの図(づ)をなほ多くあつめ文を添(そへ)させ私筆にて例の絵本となし候はゞ、其書雪の霏々(ひゝ)たるがごとく諸国に降(ふら)さん事我が筆下(ひつか)に在りといはれたる書翰(しよかん)今猶牧之が書笈(しよきふ)にをさめあり、

■これらの景色をその場で写生した絵を贈ると、玉山から返書が届いた。
それには、
「まさに北越の雪がわたし(玉山)の机の上に降って来たかのようで、眼福の極み。
これらの絵を沢山参考にして文章を添えて、わたし(玉山)が例の絵本(「絵本太閤記」)に絵を描いたならば、その本は降りしきる雪のように日本全国各地に売れることは、わたしの筆先一つにかかるでしょう」
などと書かれた書簡は今でもわたし(牧之)の書物箱に入っています。

||此書ならずして黄なる泉(いづみ)に玉山を沈めしは惜(をしむ)べし/\。

■この本を作る前に、冥土の泉(黄泉)に玉を沈めてしまったのです。
惜しいことでした。

【本書解説文より】P.59
||玉山翁:岡田玉山。大阪の画家で牧之と文通あり、雪譜出版にも積極的な好意を示した。
||文政九年(一八一二)没、年七十六。


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