北越雪譜初編 巻之中
越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
江 戸 京山人百樹 刪定
○玉山翁(をう)が雪の図(づ)
さきのとし玉山翁が梓行(しかう)らせれし軍物語(いくさものがたり)の画本の中に、越後の雪中にたゝかひしといふ図(づ)あり。文には深雪(みゆき)とありてしかも十二月の事なるに、ゑがきたる軍兵(ぐんぴやう)どもが挙止(ふるまひ)を見るに雪は浅く見ゆ。
−越後の雪中馬足はたちがたし、ゆゑに農人すら雪中牛馬を用ひず、いわんや軍馬をや。しかるを馬上の戦ひにしるしたるは作者のあやまり也。したがふて画者も誤(あやま)れる也。雪あさき国の人の画作なれば雪の実地をしらざるはうべ也。−
越後雪中の真景(しんけい)には甚しくたがへり。しかしながら画(ゑ)には虚(そらごと)もまじへざればそのさまあしきもあるべけれど、あまりにたがひたれば玉山の玉に瑕(きず)あらんも惜(をし)ければ、かねて書通(しよつう)の交(まじは)りにまかせて牧之が拙(つたな)き筆にて雪の真景種々(かず/\)写し、猶常に見ざる真景もがなと春の半(なかば)わざ/\三国嶺(みくにたふげ)にちかき法師嶺(ほふしたふげ)のふもとに在る温泉に旅(やど)りそのあたりの雪を見つるに、高き峯(みね)よりおろしたるなだれなどは、五七間(けん)ほどなる四角或は三角なる雪の長さは二三十間(けん)もあらんとおもふが谷によこたはりたる上に、なほ幾つとなく大小かさなりたるなど雪国にうまれたる目にさへその奇観ことばには尽しがたし。これらの真景をも其座(そのざ)にうつしとりたるを添(そへ)て贈りしに、玉山翁が返書に北越の雪我が机上にふりかゝるがごとく目をおどろかし候、これらの図(づ)をなほ多くあつめ文を添(そへ)させ私筆にて例の絵本となし候はゞ、其書雪の霏々(ひゝ)たるがごとく諸国に降(ふら)さん事我が筆下(ひつか)に在りといはれたる書翰(しよかん)今猶牧之が書笈(しよきふ)にをさめあり、此書ならずして黄なる泉(いづみ)に玉山を沈めしは惜(をしむ)べし/\。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.59〜60)
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○玉山翁(をう)が雪の図(づ)
|| さきのとし玉山翁が梓行(しかう)らせれし軍物語(いくさものがたり)の画本の中に、越後の雪中にたゝかひしといふ図(づ)あり。
■ 以前の事であるが、岡田玉山が出版した「絵本太閤記」に越後の雪中の戦いの図が載せてありました。
||文には深雪(みゆき)とありてしかも十二月の事なるに、ゑがきたる軍兵(ぐんぴやう)どもが挙止(ふるまひ)を見るに雪は浅く見ゆ。越後雪中の真景(しんけい)には甚しくたがへり。
■文章には、“深雪”とあってしかもその戦いは十二月の史実なのである。
ところが描かれた兵士たちの景色を見ると雪は浅く見えるのです。
越後の国の雪中の風景とは大分違っているのです。
|| −越後の雪中馬足はたちがたし、ゆゑに農人すら雪中牛馬を用ひず、いわんや軍馬をや。しかるを馬上の戦ひにしるしたるは作者のあやまり也。したがふて画者も誤(あやま)れる也。雪あさき国の人の画作なれば雪の実地をしらざるはうべ也。−
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